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乱歩と鳥羽―400日の軌跡ー

  • 坂手島花守日記
  • 2016年8月21日
  • 読了時間: 1分

その4  大正6年の鉄道事情①

                        (京都梅小路・鉄道博物館)

 平井憲太郎さんは鉄道研究家としても高名な方だからすでに訪問されていると思うが、今年4月にグランド・オープンし、夏休みを迎えて、家族つれで大賑わいの京都鉄道博物館に行ってきた。魅力的な展示物を横目に、三階の「図書資料室」に直行、乱歩が鳥羽に来た頃の交通事情を調べる為である。

 乱歩は「大正6年11月11日 鈴木商店鳥羽造船所に赴任した」(貼雑年譜)と書いている。この日は日曜日であるから、翌日からの勤務に備えての鳥羽入りであろう。

 当時乱歩は守口市に住んでいたから、大坂・天王寺発関西線、参宮線を経て鳥羽に入った。

 今回鉄道博物館で閲覧した大正6年10月発行の時刻表によれば、午前8時30分湊町発午後1時52分鳥羽着とある。約5時間半の行程である。現在でも同じ工程をたどれば約4時間半かかる。明治44年に山田(現伊勢市駅)から鳥羽まで参宮線は延伸されていた。100年も前から鳥羽と大阪・京都との時間距離はあまり変わらないのだ。

 運賃は2円48銭とある。現在が3,350円だから1,350倍になったことになる。初任給は二十円(同貼雑年譜)だったと乱歩は書いている、列車運賃が他の諸物価と比べて相当高いものだったことが想像できる。

(この項続く)

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