乱歩と鳥羽―400日の軌跡ー
その2「乱歩忌」
鳥羽での乱歩の跡を追う、と言って始めた当欄だが、早速横道にそれる。今日7月28日はが乱歩・平井太郎の命日だからだ。
先月、乱歩の母校名古屋瑞陵高校を訪問し、同窓会事務局の森先生に丁寧なご説明をいただきながら、貴重な資料を見せていただいた。
(左、森 重統先生)
乱歩は旧制愛知五中(現瑞陵高)の第1期生。その頃のことは、「探偵小説四十年」「わが夢と真実」「貼雑年譜」などで、折々のことどもを記録と記憶に基ずいて精細に述べている。しかし、そこには無意識に、また創作者のつねとして、事実と違う部分があると見るのが当然だろう。今回の訪問でも従来乱歩が述べていることと、違う事実の証左となることも見つかった。そのことはいずれ述べる。
上は愛知五中第1期卒業生アルバムに残る乱歩・平井太郎の写真である。自ら「ええ子、ええ子」と学校近所の子守娘にからかわれたという、美少年かどうか、この写真だけではわかり辛い。