乱歩と鳥羽 ―400日の軌跡―
その一、「♬ぼっ、ぼっ僕らは少年探偵団・・・・の巻」
江戸川乱歩の話をすると誰でも皆少年の日の乱歩になる、といったのは橋本治だが、私が思い出すのも、町のガキ大将に、近所の家の前で「ここがあの少年探偵団の江戸川乱歩の下宿」と指し示された日のことだ
(右、乱歩の鳥羽での最初の下宿。左の遊郭「津の国」は近々取り壊しの予定)
それは間口一間程の小さな仕舞家風の何の変哲もない小さな家だが、港町鳥羽の遊郭街のど真ん中に位置し、これもこの町によくある造りだが海側の壁を「津の国」という廓と共有する家だった。その後、これも近所にあった鳥羽には数少なかった洋館を怪人二十面相のアジトに見立てて少年探偵団ごっこで遊んだのは言うまでもない。
(久富医師の洋館が立っていた所。石門とコンクリートの塀は往時のまま)
初めて乱歩の下宿先を教えられた夜、頭の中を「♬ぼっ、ぼっ、僕らは少年探偵団、勇気凛々瑠璃の色・・・」の歌が駆け巡っていた。熱まで出したかどうかは母親から聞きそびれてしまったが。
乱歩は大正六年十一月から大正八年一月までこの鳥羽の町で暮らした。大正十二年「二銭銅貨」で世に出て戦後まで続く長く偉大な足跡を残した乱歩にとって、それは一年と二ケ月と短い期間だったが、岩田準一、本位田準一、そして誰よりも村山隆という生涯の伴侶と出会う極めて重要な期間であったように思われる。
乱歩も多くを語っていない鳥羽での約400日を少したどってみたい。